東京地方裁判所 昭和51年(行ウ)37号 判決 1979年3月28日
原告 小宮なつ
被告 国
訴訟代理人 野崎悦宏 鳥居康弘 他二名
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 原告
1 被告は原告に対し三四〇万円を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行の宣言
二 被告
主文と同旨
第二当事者の主張
一 請求原因
1 亡小宮勝太郎は、昭和四一年四月一四日死亡し、妻の原告及び小宮喜一外四名の子が相続したが、遺産分割について相続人間の協議が調わなかつたので、小宮喜一を除くその余の相続人(以下、「原告ら」という。)は、同年一一月一五日千葉家庭裁判所松戸支部に遺産分割の調停の申立てをし、代理人として弁護士池田門太、同田中正一に右調停事件の処理を委任した。右事件については、当事者間の合意が成立し、昭和四八年一二月二八日同裁判所において遺産分割の調停が成立した。
2 原告らは、池田、田中両弁護士に対する弁護士報酬はすべて原告において負担する旨合意し、原告は、昭和四九年五月三〇日分割により取得した土地のうち千葉県松戸市上本郷二丁目三七八番畑三四七・一六平方メートルの土地(以下、「本件土地」という。)を株式会社落合製作所に代金二五〇〇万円で譲渡したうえ、池田、田中両弁護士に対し弁護士報酬として合計一七〇〇万円を支払つた(以下、「本件弁護士報酬」という。)。
3 原告は、昭和四九年分所得税の確定申告及び修正申告に当たり、本件土地の譲渡にかかる分離長期譲渡所得の金額を二一七七万七〇〇〇円と申告し、これに対する所得税として昭和五〇年三月一一日四〇八万六〇〇〇円、同年七月一七日一八万円、合計四二六万六〇〇〇円を納付した。
4 しかしながら、遺産分割のために要した弁護士報酬は、以下に述べるとおり、分割によつて取得した資産の取得に要した費用として、当該資産の譲渡収入から控除されるべきであつたのに(所得税法三八条一項)、原告は、松戸税務署担当官の誤つた指導により本件弁護士報酬が譲渡資産である本件土地の取得費に当たらないものと誤信して、前記確定申告、修正申告に及んだものであるから、右各申告は、その限度において要素の錯誤により無効である。
すなわち、遺産分割前の相続財産は、抽象的・観念的に相続人らに帰属しているだけで、相続人らがこれを具体的に支配、活用することのできないものであり、相続人らは遺産分割によつて初めて現実的に当該資産の所有権を取得し、これを支配、活用することができるようになるのである。このように遺産分割も所有権取得のための一方法であるから、遺産分割のために委任した弁護士に対する報酬は、まさに所有権の取得そのもののために必要とする費用にほかならないのであつて、所得税法三八条一項にいう「その資産の取得に要した金額」に当たるというべきである。そして、実際問題としても、本件においては、被相続人の死亡後遺産分割のために約八年もの長年月を要しているのであつて、本件遺産分割を処理するには法律の専門家である弁護士の関与を必要としたものであり、その関与なくしては原告において本件土地等の資産を取得できなかつたことは明らかである。したがつて、本件弁護士報酬は、本件土地の取得費として、原告の前記譲渡所得の金額の計算上本件土地の譲渡収入から控除すべきものである。このように解することなく、本件譲渡収入中弁護士報酬の支払に充てられた分についても課税の対象とするならば、それは右報酬分について実質的な利益を享受していない者に対して課税するもので、実質所得者課税の原則(所得税法一二条)に反する結果となるし、また、右報酬分について原告及び右報酬を受けた弁護士のいずれにも課税するとするならば、同一の所得について二重に課税することとなつて極めて不合理である。
5 よつて、原告が既に納付した前記分離長期譲渡所得にかかる税額四二六万六〇〇〇円中本来納付すべき正当な税額を控除した残額三四〇万円は、無効な申告に基づき被告において不当に利得したものというべきであるから、原告は被告に対し右金員の支払を求める。
二 請求原因に対する被告の認否及び反論
(認否)
1 請求原因1のうち、亡小宮勝太郎が昭和四一年四月一四日死亡し、妻の原告及び小宮喜一外四名の子が相続したことは認めるが、その余の事実は不知。
2 同2のうち、原告が昭和四九年五月三〇日本件土地を株式会社落合製作所に代金二五〇〇万円で譲渡したことは認めるが、その余の事実は不知。
3 同3の事実は認める。
4 同4、5は争う。
(反論)
1 所得税確定申告書、修正申告書の記載内容についての錯誤の主張は、その錯誤が客観的に明白かつ重大であつて国税通則法に定められている更正請求の方法による以外にその是正を許さないとすれば納税義務者の利益を著しく害すると認められる特段の事情がある場合に限つて例外的に許されるものと解すべきところ、本件においては右のような特段の事情が存しないから、錯誤の主張をすることは許されない。
2 また、資産の値上り益に対する清算課税である譲渡所得の本質に照らせば、所得税法三八条一項の譲渡資産の取得費を構成するものは、当該資産の客観的価額の一部を構成する支出をいうのであつて、本件のように遺産分割のために委任した弁護士に対する報酬のごときものは取得費に当たらないことは明らかである。
なお、原告は本件譲渡所得の収益の帰属者として申告納税に及んでいるのであるから、右所得に対する課税が実質所得者課税の原則に違背するものではなく、また、原告の本件譲渡所得に対する課税と池田、田中両弁護士の取得した弁護士報酬金に対する課税とは相互になんらの関係もないのであるから、本件譲渡所得に対する課税が二重課税に当たるものでないことはいうまでもない。
第三証拠関係<省略>
理由
一 亡小宮勝太郎が昭和四一年四月一四日死亡し、妻の原告及び小宮喜一外四名の子が相続したこと、原告が昭和四九年五月三〇日本件土地を株式会社落合製作所に代金二五〇〇万円で譲渡したこと、原告が右譲渡にかかる分離長期譲渡所得につきその主張のとおりの確定申告、修正申告をし、所得税の納付をしたことについては、いずれも当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第一号証、証人小宮昌治の証言により真正に成立したものと認められる同第三号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる同第四号証の一ないし四及び弁論の全趣旨を総合すると、原告らは遺産分割について千葉家庭裁判所松戸支部に調停の申立てをし、代理人として池田、田中両弁護士に委任したこと、昭和四八年一二月二八日同裁判所において遺産分割の調停が成立し、原告は本件土地を含む数筆の土地等を単独取得することとなつたこと、原告らは、昭和四九年一一月一四日池田、田中両弁護士に対し合計一七〇〇万円の弁護士報酬を支払う旨約し、原告がその全部の支払をしたこと、が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
二 原告は、本件譲渡所得の申告は、本件弁護士報酬が本件土地にかかる譲渡所得の金額の計算上控除されるべき資産の取得費に当たるのに、これに当たらないと誤信してしたものであるから、要素の錯誤により無効であると主張するので、まず、本件弁護士報酬が右の資産の取得費に当たるといえるかどうかについて検討する。
1 所得税法三三条三項によれば、譲渡所得の金額の計算に当たり資産の譲渡による収入金額から控除すべき費用として、当該資産の取得費及びその資産の譲渡に要した費用が挙げられており、同法三八条一項によれば、右資産の取得費は、別段の定めがあるものを除き、その資産の取得に要した金額と設備費及び改良費の額の合計額とする旨定められている。
譲渡所得に対する課税は、資産の値上りにより所有者に帰属している増加益について、その資産が所有者の支配を離れて他に移転するのを機会に、これを清算して課税する趣旨のものであり、換言すれば、当該資産の取得の時における客観的価額と譲渡の時における客観的価額との増差分を値上り益として課税の対象としているものということができる。譲渡所得の金額の計算において、資産の譲渡による収入金額から「資産の取得に要した金額」を控除するのは、右の客観的価額の増差分を算出する意味をもつものである。したがつて、資産の取得に関連してなんらかの費用を要した場合であつても、それが一般的に右取得の時における当該資産の客観的価額を構成する費用とは認められないものであるときは、これを「資産の取得に要した金額」として譲渡による収入金額から控除することはできないものというべきである。
2 ところで、相続による資産の所有権移転の場合には、限定承認のときを除き、その段階において譲渡所得課税は行われず、相続人が右資産を譲渡したときに、その譲渡所得の金額の計算についてその者が当該資産を相続前から引き続き所有していたものとみなすことと定められている(同法五九条、六〇条)。したがつて、右の場合に、被相続人が当該資産を取得するのに要した費用は相続人の譲渡所得金額の計算の際に前記の取得費としてその譲渡収入金額から控除されることとなる。
このように、所得税法は、相続(限定承認を除く。)による資産の所有権移転の場合における譲渡所得課税を繰り延べ、その後、当該資産が相続人の支配を離れて他に移転する機会をとらえて、被相続人の取得の時以来清算されることなく蓄積されてきた資産の値上り益すなわち被相続人の取得の時の客観的価額と相続人の譲渡の時の客観的価額との増差分を課税の対象とすることとしているのであるから、右増差分の算出上、譲渡による収入金額から控除すべき「資産の取得に要した金額」は、被相続人の取得の時において当該資産の客観的価額を構成する費用と認められるものでなければならないというべきである。
ところで、相続人が数人ある場合には、相続財産は各相続人の共有とされ(民法八九八条)、個々の資産の具体的な帰属は遺産分割によつて定められるのが通常であるから、形式的にいえば、相続人は遺産分割によつて資産を取得したものとして、その分割に要した費用を前記の取得費に含めるべきもののように考えられないではない。しかしながら、遺産分割は、共有にかかる相続財産の分配にすぎず、これにより相続財産に含まれている個々の資産の財産価値そのものに変動を及ぼすものではないから、かかる遺産分割に要した費用は、一般的に当該資産の客観的価額を構成するものとは認められず、もとより、被相続人の取得の時に遡及してその当時における右客観的価額を構成するとみうる余地はない。そうであるとすれば、前述の譲渡所得課税の趣旨に照らし、右遺産分割の費用を「資産の取得のために要した金額」として譲渡による収入金額から控除すべきでないことは、既に判示したところから明らかである。
そうすると、本件弁護士報酬は、本件土地の取得に要した費用ということができず、また、設備費又は改良費のいずれにも当たらないことは明らかであるから、結局、右は、本件譲渡所得の金額の計算上控除すべき所得税法三八条一項所定の資産の取得費に当たらないというほかない。
3 原告は、本件弁護士報酬が本件土地の取得費として本件譲渡所得の金額の計算上控除されないとすると、実質所得者課税の原則(所得税法一二条)に反するばかりか、同一の所得について原告及び右報酬を受けた弁護士に対し二重に課税することとなる旨主張する。
しかしながら、実質所得者課税の原則(同法一二条)は、名義と実体、形式と実質とで所得の帰属が異なる場合の問題であつて、本件のように原告が譲渡所得にかかる資産の真実の権利者であり、その譲渡による収益の帰属者である以上、原告に対し課税することはなんら右原則に反するものではなく、また、本件譲渡所得と本件弁護士報酬に対する課税とは、まつたく別個の理由に基づく課税であるから、本件譲渡所得に対する課税がいわゆる二重課税に当たるものでないこともいうまでもない。したがつて、原告の右主張は失当である。
三 以上のとおりであるから、本件弁護士報酬が本件譲渡所得の金額の計算上控除すべき取得費に当たることを前提として、その所得税確定申告(修正申告)の錯誤による無効をいう原告の主張は、その前提において失当であり、原告の本件請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がないことに帰する。
よつて、原告の本件請求を棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 佐藤繁 中根勝士 佐藤久夫)